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『CONNECT+』Vol.22:特別インタビュー
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掲載日:2026年8月28日
世界の常識を山形から仕立て直す
ファッション史を変えた1本の糸
山形県寒河江市で紡がれた1本の糸が、世界のファッションシーンを静かに揺らした。
佐藤繊維株式会社は、Forbes JAPAN SMALL GIANTS AWARD「カッティングエッジ賞」を受賞し、極細モヘヤ糸と特殊紡績糸の開発では「ものづくり日本大賞」経済産業大臣賞にも輝いた。さらに、同社の糸は世界的なラグジュアリーブランドにも多く採用されてきた。
その価値を象徴するのが、オバマ元米国大統領の就任式である。ミシェル・オバマ氏が着用したカーディガンにも、同社の糸が使われていた。本来ならシルクのドレスが主役となる舞台に、ニットが登場したのである。山形で作られた1本の糸は、ニットをエレガントな装いへと押し上げ、ファッションの歴史に新しい可能性を刻んだ。
なぜ、山形の片田舎で紡がれた1本の糸が、世界を動かしたのか。そこにあったのは、まだ世の中にないものを、自分たちの手でつくり続けてきた企業の姿だった。

ミシェル・オバマ夫人が着用したものと同じカーディガン
世界一高い糸の逆転劇
一度は消えたはずの需要は、思わぬところから再び動き出す。
佐藤繊維は1932年創業、現4代目・佐藤正樹代表で95年の歴史を持つ。山形・寒河江で羊を飼うところから始まり、紡績業、ニット製造業へと歩みを重ねてきた。だがかつては、アパレルの言い値に従うしかない下請け企業だった。
転機はイタリアの紡績工場見学だった。そこで働く職人たちは、指示されるままではなく、自分たちの頭で考え、作りたいものを作っていた。案内役の工場長は、機械の改造法まで熱心に語ってくれた。その姿を前に、佐藤代表は自らのものづくりのあり方を見つめ直した。
言われたものではなく、自分たちにしか作れないものを。そう腹を括り独自の糸開発に乗り出した同社は、2007年、世界最高峰の工業糸展示会「ピッティ・フィラーティ」に初出展。最初は誰も訪れない地下フロアの隅からのスタートだったが、独自の編みや演出が話題を呼び、2年目にはメインフロアへと躍進する。
だが直後、リーマンショックが同社を襲う。円高で価格は跳ね上がり、展示会からつながった80件近い依頼はすべて消えた。瞬く間に世界一高価となった糸の運命を変えたのは、誰もが知るパリのラグジュアリーブランドからの一本の連絡だった。「面白い糸を使っていると聞いた」。サンプルを送った数か月後、パリコレクションのファッションショーを飾ったニットに、同社の糸が使われていた。佐藤代表は「震えましたね」と当時を振り返る。
高すぎて売れないはずだった糸は、価格ではなく、その糸でしか生まれない価値によって世界に認められていった。

2025年にイタリアで開催された糸の展示会「ピッティ・フィラーティ」の様子
夢の入った糸をつくる
佐藤繊維にしか生み出せない価値を支えているのは、原料の個性と、その背景まで受け取る姿勢だ。
決まった完成形に原料を当てはめるのではなく、素材に触れ、「この原料なら何ができるのか」と発想する。佐藤代表が重視するのは、細さや希少性だけでなく、自分たちの思いや夢が糸に入っているかどうかである。
理想のモヘヤ糸を追う中で、最高級とされる原料にも限界を感じた佐藤代表は、「南アフリカに、とんでもないモヘヤをつくる農家がいる」と聞き、現地へ飛んだ。ところが、その原料は需要がないことから生産ロットに満たず、平凡な原料と混ぜて使われていた。売れる保証はない。それでも翌年分を発注し、試作を重ねた先に、世界一細いと称されるモヘヤ糸「Fuuga」が生まれた。
佐藤代表は、南米をはじめ世界各地の産地にも足を運ぶ。羊毛やモヘヤは、育つ土地の環境によって、縮れ方やぬめり、質感が異なるからだ。多くのメーカーが原料を混ぜて均一化するなか、佐藤繊維は産地ごとの違いを見極め、その個性に合う糸を考える。農家や原料を洗う人たちの仕事に触れることで、つくりたい糸の姿が見えてくるという。
素材を均一にするのではなく、その違いを生かす。そこに作り手の思いと夢を重ねることが、佐藤繊維の糸づくりである。

同社が紡ぐ色とりどりの糸
ものづくりのギークたち
ものづくりは、同じ価値観の中だけでは進化しない。
近年だけでも、紡績、撚糸、ニットの工場を次々とグループに迎え入れてきた佐藤繊維がM&Aで求めるのは、自社にはない「魂」を持つ企業だ。魂とは技術であり、それを積み重ねてきた人や設備でもある。
その象徴が、同社が2020年に事業を継承したクマムレースだ。大阪のレース専業メーカー、旧カツミ産業の倒産に伴い、全従業員と設備、技術を引き受けた。ヨーロッパにもないといわれる、通常のレース機では対応できない糸も編み込むことができる特殊な技術。「一度失えば、二度と再現できない」。佐藤代表がそう語る技術を、自社の販路と組み合わせ、赤字だった事業を数年で黒字へと転換させた。
自社にない技術を持つ会社と組むことで、相手には佐藤繊維の販路や発想が入り、佐藤繊維にもこれまでなかった技術が加わる。ものづくりへの愛がある者同士が組めば、1+1は2では終わらない。3にも4にもなる。
自分たちにないものとの出会いを重ねるたび、佐藤繊維のものづくりは領域を越え、新しい価値を生み出してきたのだ。

クマムレース(旧・カツミ産業)と製作した「レース付きリネンストレートパンツ」
世界より山形
数々のラグジュアリーブランドと取引してきた同社が、いま力を注いでいるのは山形・寒河江である。
下請けという立場のままでは、いつまでも価格競争の中に置かれ続ける。世界の舞台に立った経験は、価格だけで比べられる立場から抜け出すきっかけにもなった。 実際、今では自社ブランドが売上の中心を占めるまでになっている。
同時に、世界を見て回ったからこそ、佐藤代表は足元の山形にこそ本当の価値があると気づかされた。自社ブランドを含めたアパレルのセレクトショップにレストランや雑貨店を併設した複合施設「GEA」 では、服だけでなく食や家具・雑貨を通して山形の暮らしそのものを発信している。こうした地域への眼差しは、やがて会社の外にも広がった。佐藤代表は2020年、寒河江市観光物産協会の会長にも就任し、その視線は自社だけでなく、街全体へと向けられている。
「山形は世界なんだ」。世界を知ったからこそ、遠くに答えを求めるのではなく、足元にある価値をどう表現し、届けるか。その問いが、いまの佐藤繊維を動かしている。

かつての紡績機を什器として活かした「GEA」の店内
カテゴリーのない会社へ
佐藤代表が描いているのは、メーカーやサービス業という枠を超えた、カテゴリーのない会社の姿である。
糸の製造から自社ブランドへ、さらにGEAで食や暮らしまで扱うようになった同社は、次に農業、牧場、ホテル、観光までをひとつのストーリーでつなごうとしている。原料が生まれ、製品になり、食べ、泊まり、土地を知る。そのすべてを寒河江で体験できる「エリアパーク」のような構想だ。
地元で羊を飼い、自社で紡績する未来も、その全体像の一部にすぎない。目指すのは、原料から観光までを一貫して手がけ、佐藤繊維と山形の世界観を丸ごと届けること。「羊を見たければ山形へ」という言葉は、その構想を象徴している。
「夢がないといけない」。佐藤代表の構想には、現在の事業の延長線だけで未来を決めない強さがある。自社の技術を守るだけでなく、その源流と行き先を広げていけば、会社の役割そのものを変えることができる。
地方企業の成長とは、規模を追うことだけではない。自分たちは何者になれるのかを問い直し、まだ名前のない事業を、自ら定義していくことでもあるのだ。

左からトークネット太田、佐藤繊維株式会社 佐藤代表、トークネット中畑
インタビューの全編動画はYouTubeで公開中!
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